ドラゴン #6854 1/35 四式軽戦車「ケヌ」

【実車について】
1935年に制式化された九五式軽戦車(ハ号)は日本の貧弱なインフラでも運用できるよう、全備重量7.4トンという軽量にまとめられていました。緒戦では、高い信頼性と非常に高い練度を誇る陸軍戦車部隊によって、中国軍相手には非常に活躍し、ノモンハン事件でもソ連軍のBTなどの軽戦車相手には互角以上に戦いました。しかし太平洋戦争で登場した米英軍の戦車には無力であり、戦争中期以降は使い道の無くなった大量のハ号が国内に残されていました。これをなんとか戦力化しようと、1943年には三式軽戦車が企画されました。これはハ号の砲塔リング径はそのままにして57mm砲を搭載するというものでしたが、実際に砲を積んでみると装填すら困難である事が解り不採用となりました。翌年には、砲塔リング径を広げて、九七式中戦車(チハ車)の57mm砲塔をそのまま搭載する四式軽戦車案が持ち上がり、ぎりぎりながら搭載可能と解ったので制式化されました。当時、チハ車の57mm砲塔は47mm砲塔に換装したり、自走砲に改修された個体があったりで余剰品がかなりありました。また、ハ号の生産自体も終了していたので、ケヌ車はどちらも中古のパーツを合わせて生産されたのです。57mm砲は本来歩兵支援用の砲であり、徹甲弾の貫通力は殆どありませんでしたが、榴弾威力は37mmを上回り、また、当時開発されていたタ弾(成型炸薬弾)を用いる事も出来た可能性があります。
日本陸軍最後の軽戦車ケヌは、価値がゼロになった兵器同士を掛け合わせて価値ある兵器を産み出そうとした苦肉の策から産まれました。しかし、日本独特の美意識でそれぞれ神経細やかにデザインされた車体と砲塔は、合わせてみると不思議な調和感があり、頭でっかちながら可愛らしい姿になっています。
四式軽戦車が実際にどの程度生産されたかは不明で、少なくとも四国と九州の2つの部隊に配備されたことが数少ない写真から解るのみとなっています。しかし、改造自体にはあまり手間の掛からない戦車ですから、もし本土決戦をやることになっていたら、この戦車が増産されてあちこちに投入されたであろうことは想像に難くありません。

Figure is available Japanese version only.

ドラゴンのケヌ車は、名作ぶりを絶賛された同社のハ号の車体上部を差し替え、チハ車の砲塔を新規金型で追加したものです。なんと言っても、ハ号を設計した高田氏と岡田氏が久しぶりに設計に復帰したことは非常に嬉しいニュースと言えるでしょう。ただ、2016年秋のホビーショーで高田氏にお会いした時点では「ケヌ車以降の設計契約は未定」とのことでしたので、なんとかこのケヌで数字を上げて次回以降に繋がってほしいものだと思います。竹一郎氏原型の格好いい戦車兵は日本国内で初回生産分のみ同梱となっています。

さて、注目はなんといってもチハ車の砲塔です。チハ車自体は、タミヤの名作があり、近年ではファインモールドの意欲作があります。どちらも発売当時は「これが決定版」と評判を呼んだキットですが、今回のチハの砲塔はこれまたもの凄い情報量が詰め込まれ、かつプロポーションや寸法を精査した「このパーツだけ見ていても飽きない」仕上がりとなっています。もちろん、複数工場で生産され、生産途中で適宜変更が加えられた可能性も高いチハ車の砲塔ですから「ドラゴンの砲塔が正しく、他のキットが駄目」と言うつもりはありません。しかし、実際に手にとって既存のキットと比べていただければ「本当のチハの砲塔は確かにこんな形かもしれない」と思わせる、説得力のあるパーツとなっています。また、キューポラ周囲に施されたマイナスネジ、複数の大きさが混在する尖頭リベットも巧みに表現されています。写真には写っていませんが、57mm砲の砲口内部にはライフリングまで施されています。おそらくこれを超えるチハの砲塔を出すことは、今後技術的ブレイクスルーが無い限り困難だと思われます。久々に見せた「ドラゴンの本気」を堪能できる仕上がりです。

ケヌ車は車体前面に二つの銘板が付いています。向かって左がケヌ車のもので、右はハ号の銘板がそのまま残っているのです。これはハ号の部分でトラブルが起きた場合、対応に製造番号や工場名を知る必要があるからだと思われます。ハ号は複数の工場で生産されましたが、当時は「JIS規格」のような決まりが無く、工場が違うと部品に互換性が無いのは当たり前でした。

チハ車は砲塔周囲に鉢巻き状のアンテナを巡らしていますが、実は高さが異なる2種類があると解っています。キットにはこれを反映して2種類のアンテナパーツが入っています。見本で使用したのは背が低い方で、ファインモールドの背の高いアンテナとは異なるタイプです。なぜ2種類あったか、何かの改良なのか製造工場の違いによるものかは現在の研究では不明です。

車長用キューポラの真ん中にはパノラマ式の潜望鏡が付いています。この下にはプリズムが仕込まれ、回転させることでハッチを開けなくても周囲を視察できました。キットには潜望鏡のドームに付いているハッチが開いたもの、閉じたものの両方が入っています。キューポラの側方にあるのは夜間連絡用の信号灯です。上から緑・橙(ダイダイ色)・赤のガラスが入っていました(以上、吉川和篤 写真集【九七式中戦車】)。キットはこの透明部品か使用しないときの蓋のパーツのどちらかを選択できるようになっています。

キューポラの裏にはパノラマ潜望鏡の映像を映すための鏡と思われるパーツが付いています。ただし、現物が見つかっていないため、この潜望鏡の構造はまだよくわかっていないようです。

ケヌ車は57mm砲塔を搭載するため砲塔リング径を広げたものの、ギリギリであり、キットの砲塔を回してみると解りますが、どの角度に回しても機関室ハッチに干渉してハッチが開きません。このため、ハ号では一枚であった機関室を2枚に分割しています。また、機関室ハッチのヒンジが砲塔に干渉するため、ヒンジの位置を後方に移動しており、前方の小ハッチにはヒンジがありません。おそらくこの小ハッチは、普段ははめ殺しで使用し「どうしてもこのハッチを開けたい」時には砲塔を外す必要があったのでは無いかと思われます。

チハ車の砲塔は砲手(砲塔左側の照準器の後ろが定位置)と車長(キューポラ直下が定位置)ですが、下の写真を見て分かっていただけるように、そのままでは車体機銃手兼無線手と砲手の位置が重なってしまいます。実はケヌ車は定員がハ号と同じ3名なのか、チハ車と同じ4名なのか解りません。しかしこれを見る限り砲手が無線手兼機銃手を兼ねないと運用できないように思われます。

↓こちらはハ号。ケヌ車に改修するに際し、機銃用スポンソンと操縦手覗視孔の間を増積しているのが解ります。

57mm砲の砲尾は完成すると殆ど見えませんが、非常によく出来ており、尾栓をスライドさせることも可能です。チハの防盾の照準孔には防弾ガラスが入っておらず、主砲を使用しない場合内側からハンドルを回して塞ぐことができるようになっていました。キットには照準孔が開いたパーツC23と塞がったパーツC26の両方が入っています。この他、機銃照準孔や各部の覗視孔も開いた状態と閉めた状態を再現するパーツがオプションで用意されています。